人間変容論は人間の変化・変容の多様性を探究する研究分野です。

             

新たな着想を生み出し育てることを目指します。

人間変容論  
Human Transformation Study


                          

・藤川信夫(教授)


Ⅰ. 生年月・学位・専門分野

教  授:藤川信夫 (Nobuo FUJIKAWA)
生 年 月:1961年9月(2027年3月31日定年退職予定)
学  位:博士(教育学)
専門分野:教育哲学、教育思想史


Ⅱ. 研究テーマ

1.教育の神話学

 ベルリン自由大学の教育学者D. Lenzenは、その著作『子どもの神話学』(1985)の中で新たな研究方法として「教育の神話学」を提示し、この方法によってヨーロッパにおける子どもの大人化、大人の子ども化の歴史を再構成した。この著作は、 ドイツ教育学において、旧い教育人間学から新しい教育人間学(すなわち歴史的教育人間学)への転回を示す画期的な著作であった。藤川は、1980年代末から1990年代初めにかけてLenzen教授にこの新たなアプローチを学び、日本における「一人前」言説史の解明を試みた。その暫定的成果については、『教育学における神話学的方法の研究』 第二部を参照して欲しい。
 ところで、人間変容論は、人間の変化・変容の非連続的・不可逆的な形式への着目を学問的特徴の一つとするが、当時の藤川の研究もすでに、非連続的な人間 変容の形式をもった縄文時代の成人式(成年式)に着目し、そこから論を展開している。たしかに、非連続的な人間変容の形式については、たとえばO. F. Bollnow等の 旧い教育人間学においても論じられていた。しかし、非連続的・不可逆的な人間変容の形式が歴史的に徐々に連続的・可逆的形式へと変化していくプロセスを解明し、 しかも、同じ時代に人間変容の連続的・可逆的形式と非連続的・不可逆的形式とが相互に影響を及ぼし合いながら併存していたと考える点に藤川の研究のオリジナリティがある。
 なお、この頃のLenzen教授との出会いが、その後のベルリン自由大学の歴史的人間学学際センターとの交流の出発点となった。
 


2.教育学における優生思想の展開に関する研究

 この研究は、教育哲学会第43回大会におけるラウンドテーブルをきっかけに始まり、その後、平成15年度から平成17年度まで「科学研究費補助金・基盤研究(B)(1)」によって進められた。科学研究費による研究については、報告書「教育学における優生思想の展開-歴史と展望-」 を参照のこと。また、この共同研究の枠内で行った藤川の以下の二つの論文はドイツで論文集に掲載された。(1)Pädagogik zwischen Rassismus und Vernichung fremder Kulturen; Die Pädagogik von Sawayanagi Masatarô、(2)Zur Verbindung von eugenischem Gedanken und militärischem Zweck in der japanischen Pädagogik in der Zeit vor und während des Kriegs - am Beispiel der Begabtenförderungserziehung in der Kriegszeit. さらにその後、本共同研究の成果は、新たな著者による論考を加えるかたちで2008年2月末に勉誠出版より『教育学における優生思想の展開-歴史と展望-』として出版された。
 人間変容論は、学校教育に留まらずライフサイクル全体にわたる人間変容の在り方を研究対象として取り上げる点に特徴をもつが、この論文集は、生者のライフサイクルだけではなく、一人の人間として生まれる以前の両親の頭の中の子ども観を研究対象とする点で、人間変容論の研究領域を人生の前方へと拡張する試みとして位置づけられる。なお、この論文集に収録することのできなかった藤川の論文「1930年代日本における優生思想の展開-アカデミックな言説の独走」の内容は、 論文集所収の桑原真木子論文に接続可能なものである(誤字を修正した版(PDF)はこちら)。また、雑誌『教育哲学研究』『教育学研究』『近代教育フォーラム』における書評もしくは図書紹介も参照していただきたい。また、本論文集を総括した論文は小笠原道雄編『進化する子ども学』(福村出版)に掲載されている(内容圧縮前のLong Version(PDF)はこちら)。

3.芸術活動を通じた非連続的人間変容についての研究

 この研究は、ベルリン市クロイツベルク区の基幹学校フェルディナント・フライリグラート中学校におけるKidS-Projektに関する調査をもとにしつつ、ベルリン自由大学・歴史的人間学学際センターのCh. Wulf教授、G. Gebauer教授の協力を得て「ミメーシス」概念の視点から、学校内にプロフェッショナルの芸術家を定期的に招き入れることで荒れる学校を再建するというこの学校の斬新な実験を分析したものである。その暫定的成果については、「近代学校教育の実践におけるポストモダニズム」(2001;ドイツ語版PDFはこちら)、及び、「ドイツにおける美的人間形成の展開」(2003)を参照してもらいたい。この研究は、学校教育を研究対象としながらも、連続的な人間変容の形式としての「発達」の枠内に収まらない非連続的な人間変容の在り方の具体例を提示している点に特徴をもつ。また、方法論として文献研究とフィールド研究を併用した点にも特徴がある。
 なお、文献研究で得た解釈図式を実践に強引に当てはめ、都合のよいところだけを抽出した研究にすぎないと誤解されるかもしれないが、実際にはそうではない。当初、この実践を導く理論を知るために学校を訪問しプロジェクト指導者にインタビューしたのだが、インタビューの結果「理論が存在しない」ということが明らかになった。こうして肩すかしを食らったものの、生徒たちの芸術活動を観察する過程で、わたし自身、かつて生徒たちと似たような経験をしていたことを突然思い出した。芸術活動の経験を通じて生活世界の地平融合が生じたと言ってもよい。この地平融合を理解の前提として解釈作業を進めたのだが、その過程で生徒たちや自分自身の経験をうまく説明できる人類学や哲学の理論を参照したというのが実際の経過である。

4.教育と福祉のドラマトゥルギー

 この研究は、東京大学大学院教育学研究科の今井康雄を研究代表者とする共同研究の一部として、 上記3の研究を発展させるかたちで開始したものである。この共同研究メンバーは、今井康雄(東京大学)、佐藤学(東京大学)、鈴木晶子(京都大学)、西村拓生(奈良女子大学)、野平慎二(富山大学)、樋口聡(広島大学)、真壁宏幹(慶應義塾大学)、G. Gebauer(ベルリン自由大学)、D. Lenzen(ベルリン 自由大学)、Ch. Wulf(ベルリン自由大学)、Y. Ehrenspeck(ベルリン自由大学)であった。
 その後、この共同研究の枠内で、学級における教師と児童のパフォーマンス(身振り・手振り・表情) に関する参与観察を行った。その成果については、 A Study of Educational Performance in Comparison with Initiation Rites and Theater及びその一部を要約した 「舞台・儀礼としての学級-そして/あるいは、 役割の零点」(『教育学概論』2008年所収)を参照していただきたい。これらの論考の中で、藤川は、学級の中で無意識 的あるいは半意識的に遂行されている教師と 生徒のパフォーマンスに着目し、連続的及び非連続的人間変容の在り方について考察を行った。方法論的には、文献研究とフィールと研究を併用した点、また、舞台俳優との協働で観察を行った点に特徴がある。
 この研究は、上記2の優生学研究のため一時中断したが、その後、対象範囲を拡張し、新たな共同研究として展開した。新たなテーマは、「教育と福祉の ドラマトゥルギー」というものであった。この新たな共同研究では、アメリカの人類学者・社会学者E. Goffmanのアプローチを出発点とし、これを「舞台 間闘争」と「意味的局域」の観点へと拡張し、児童福祉、介護福祉、就学前から大学までの教育の実践を対象にしたフィールド研究を行った。この共同研究で我々は、 まずGoffmanの著作及び二次文献の収集・講読から開始し、2013年 度からは科学研究費補助金による支援 を受け、ベルリン自由大学のCh. Wul教授とG. Gebauer教授の協力のもと、理論研究を行うとともに、多様な活動領域においてフィールド研究を行った。その最初の成果は、『教育/福祉 という舞台-動的ドラマトゥルギーの試み-』(大阪大学出版会2014年)及び『人生の調律師たちー動的 ドラマトゥルギーの展開ー』(春風社2017年)を参照して いただきたい。
 なお、これらの共同研究では、互いに異なる活動領域の理論家・実践家の間での議論を可能にするための、いわば「触媒」としてGoffman理論を用いた にすぎない。そのため、上記2冊の論文集では最近の国内のGoffman研究の状況について言及していないが、この点については、 「ゴフマン理論の教育学研究及び教育実践への活用の可能性について―近年のゴフマン研究の動向をもとに―」(『教育学研究』第87巻第1号、2020年)を参照いただきたい。

5.雲南省彝族経典の収集・保存・分類・翻訳

 トヨタ財団の研究助成金により、2006年11月~2008年10月まで、中国人研究者である樊秀麗(首都師範大学教授・中国)及び普学旺(雲南少数民族古籍整理出版企画 弁公室主任・中国)との共同研究として、中国雲南省彝族の経典の収集・保存等の活動を行った。研究課題は「「指路経」を中心とする雲南省彝族経典の収集・保存・ 分類とデータベースの作成-雲南省彝族経典文化の伝承機能復興のための基礎的研究-」というものであった。この活動では、雲南省各地に保存されてきた彝族経典 のうち、現在、僧侶(ビーモ)不在等の理由により用いられていないものを収集し、昆明の研究所に保存し、写真撮影によってデータベースを作成した。
 その後、同じくトヨタ財団の研究助成金により、2008年11月~2009年10月まで、再び同一メンバーによる共同研究として、上記の収集活動によって 入手した二つの地域の葬送儀礼用経典「指路経」の漢語訳作業を行った。企画題目は「中国雲南省彝族経典「指路経」の漢語訳版の作成と普及」であった。出版された漢語訳本は、すでに若き僧侶(ビーモ)志望者ための研修会でテキストとしても用いられている。経典「指路経」に記された送霊経路は、現実に存在する地名で記され、 それがかつての彝族の移住経路を意味するとされるが、今回の漢語訳によって、新たな送霊経路=移住経路の存在が明らかになった。この点で、本研究の成果は、 歴史学的意味をもつとともに、かつて数十年前に中国で大規模に行われた「指路経」翻訳・分析作業の価値を改めて裏付ける意味をもつ (雲南省での彝族研究の様子はこちらへ)。
 さらに、2010年11月からの2年間、公益法人トヨタ財団の2010年度アジア隣人プログラム特定課題「アジアにおける伝統文書の保存、活用、継承」の 助成金により、新規プロジェクト「中国雲南省彝族経典「百楽書」の漢語訳版の作成と普及」を行うことになった。前回の「指路経」の漢語訳の場合と同じく、 藤川、樊、普の3名を中核とし、これに協力者として現地の僧侶ビーモ1名と2名の現地研究者を加えた日中共同チームによる作業となった。象形文字(彝文)で記された 占い用経典の現代漢語訳版の制作と出版という、おそらく数十年後にならなければ評価されないであろう地味な文化保存活動だが、このプロジェクトは、文字情報のみでは明らかにならない約2世紀ほど前の雲南省彝族の習俗を図像資料により現代に伝えるという特別な意味をもつものであった。いずれにせよ、今日、象形文字を解読できる 僧侶ビーモの数が少なく、かつ大変高齢であることや、ビーモの死とともに経典が埋葬され失われてしまう可能性が高いことから、緊急性を伴うプロジェクトであった。 なお、この共同研究の後、中心となって翻訳作業を担当してくださったビーモは亡くなられた。失われゆく彝族の文字文化の保存・伝承に対して彼がなしえた偉大な功績はどれほど高く評価しても過ぎることはないだろう。
 なお、これら一連の共同研究で収集・保存した100本以上の経典のうち4本は、中国で文化財として指定された。また、この共同研究の成果の一部は、国立民族学博物館の片隅で小さな写真パネルとして展示されている。
 これらのプロジェクトは、必ずしも人間変容論との関係を意識して開始したものではなかったが、生者と死者との関係、死後の魂の行方をも考慮に入れたライフサイクル研究として、やはり人間変容論の研究領域の中に位置づけられるだろう。とりわけ、葬送儀礼において唱えられる経典「指路経」や占い用経典「百楽書」 は、人生の意味を教え、あるいは日常生活上の智恵を教えるという意味で、数世紀前にこの世を去った祖先たちが現在を生きる人々に対して今なお(広義の)教育を行いうることを示す実例の一つとして人間変容論の枠内で取り上げるに値するものと言えるだろう。

6.エビデンスに基づく教育(EBE)に関する研究

 「エビデンスに基づく医療 Evidence-Based-Medicine」は、「エビデンスに基づく教育 Evidence-Based-Eduction」のモデルとしての性格を持っていたはずだが、両者を比較するとずいぶん大きなズレが生じているようである。そこで、エビデンスに基づく医療に遡って 「エビデンス」とは何か、「エビデンス」をどう使うべきかをあらためて考えてみた。この研究については、「エビデンスに基づく教育における教育哲学研究の位置 についてー再びEBMを参照することで見えてくるものー」(『教育哲学研究』第120号、2019年)を参照していただきたい。

7.エスノメトリー法の開発と応用

 上記6の研究からの展開として、現在、エスノメトリー法の開発と適用を試みている。エスノメトリーは、実践者目線で実践の効果を数値で表現する 測定・分析法であり、実践者が数値による管理から身を護るためのいわば盾として機能する。すでに高齢者福祉施設と児童福祉施設で行われた二つのワークショップ を対象とし、エスノメトリー法によってその効果の測定と分析を行った。手前味噌ではあるが、「これは使える」という実感を得ることができた。おそらく、多様な 人間の変化・変容プロセスの一部は、質的データだけでなく、数値によっても表現可能なはずである(児童福祉施設での実践に関する報告書はこちら)。


Ⅲ. 研究業績

研究業績一覧はこちら

IV. 略歴


      
1961年09月 北九州市小倉区に生まれる
1974年03月 北九州市立高槻小学校卒業
1977年03月 北九州市立槻田中学校卒業
1980年03月 福岡県立八幡高等学校卒業
1984年03月 広島大学教育学部教育学科卒業
1986年03月 広島大学大学院教育学研究科博士前期課程修了
1989年03月 広島大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得満期退学
1989年04月 広島大学教育学部助手
1990年04月 広島大学研究生
1990年06月 広島大学教育学部助手
1991年04月 広島大学研究生[その間、5月から10月までベルリン自由大学歴的人間学研究センターに留学]
1991年12月 広島大学教育学部助手
1992年04月 日本学術振興会特別研究員[その間、1992年10月から1993年9月まで、ベルリン自由大学歴史的人間学研究センターに留学]
1993年10月 広島大学教育学部講師[留学生専門教育教員]
1995年04月 広島大学大学院国際協力研究科講師[その間、1997年12月から1998年1月まで文部省在外研究員としてベルリン自由大学歴史的人間学学際センターに留学]
1999年10月 大阪大学大学院人間科学研究科・助教授(2007年4月准教授)
[教育学系・臨床教育学講座・人間形成論研究分野(後に教育人間学に名称変更)・専任]
2008年04月 大阪大学大学院人間科学研究科・教授
[教育学系・臨床教育学講座・教育人間学研究分野・専任]
2016年04月 [共生学系・未来共生学講座・共生の人間学・兼任]
2020年04月 [教育学系・臨床教育学講座・人間変容論・専任]

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