わたしたちの研究分野では、基本的に、研究テーマや研究方法を〈与える〉ということはせず、いわば 〈放牧〉方式で指導(?)を行ってきました。 この〈放牧〉方式は、わたくし藤川自身が国内外の大学院で経験してきたものです。それは研究活動の縮小再生産を回避するために必要なことだと考えています。 それぞれが選択したテーマを自分の力で探究していく、ただし自分が選んだテーマであるかぎり、〈自分の研究に対して全面的に責任を負う〉というのが、学部生、 院生の違いを問わず共通したわたしたちの研究スタイルです。その意味では、指導教員もこの研究分野も、独創的な研究を行うための「踏み台」あるいは「止まり木」にすぎません。 その意味で、この分野で研究を行うためには、思考の柔軟性と意志の強さを兼ね備えていることが必要なのかもしれません。
教育学に興味をもつ人であれば、どのようなテーマを選ぶにしても、結果的には少なからず人間の変化・変容に関わってくることになると思うので、最初から「人間の変化・変容」という言葉にとらわれる必要はありません。まずは、気になって仕方がないこと、答えを見つけたいこと、とにかく知りたいことが何なのかを自問自答してみてください。そのなかにあなたの研究テーマが含まれているかもしれません。
いくら自問自答してみても何も見つからない、という人もいるかもしれません。しかしそれは、心の底に眠っている関心事を単に意識化・言語化することができないだけなのかもしれません。そのような時には、教員や他の学生たちと議論してみるのがよいでしょう。紹介された著書や論文をとにかく読んでみるというところから始めるのもよいでしょう。「これだ!」と感じるよいテーマが見つかるかもしれません。
しかし、研究テーマを見つけるもっともよい方法は、何をどう研究するのか(研究の枠組)などといった難しいことを考えずに、とにかく教育や福祉の実践の場(フィールド)に飛び込んでみることでしょう。研究には「ビギナーズラック」のようなところがあって、経験を積むにしたがっていろんなものが見えなくなっていくということもあります。むしろ逆に素人だからこそ見えるものもあるものです。そうしたことから、人間変容論では、文献研究を行うにせよフィールド研究を行うにせよ、実践の場との関わりをもつことを推奨しています。いくつかのフィールドは研究分野で紹介しますし、最初の訪問日には指導教員も同行します。
いずれにしても、指導教員が研究テーマや研究方法を与えてくれると期待している人は、少なくともわたしたちの研究分野には向きません。大学生は「研究」できるのであって、もはや「勉強」をする必要はないのです。判で押したような、「金太郎飴」のような卒業論文を量産することに何か意味があるでしょうか。
研究テーマが定まれば文献収集を始めます。先行研究を収集する作業は、まずは知識を豊かにするために、そして最終的には自分の研究のオリジナリティを見つけ出すために行うものです。
数十年前と比較すれば、この作業は、WEB検索システムによってずいぶんと簡単になりました。したがって、「どや顔」ができるところまで徹底的に行います。検索方法は、研究分野でも助言しますが、図書館で行われる説明会などに参加されるのがよいと思います。いずれにしても、この段階で鍵となるのは、どのような検索キーワードを選ぶかです。これについては、 教員や先輩の学生に相談してみて下さい。
キーワード検索でヒットした文献は、基本的に何らかの方法で入手できます。比較的新しい学術論文であれば、学内からアクセスすれば直接ダウンロードできます(8割近く入手できると思います)。ダウンロードできなかった学術論文は、図書館を通じて1~2週間で入手することができますが、それほど高額ではないにせよ有料の場合もあります。しかし、最新の学術論文は、WEBでは検索できません。もし新しさを競う研究を行うのであれば、研究テーマに関連する国内外の学会が発行する学会誌に当たってみる必要があります。
まずは教員に相談してみて下さい。
著書の場合、学内所蔵図書であれば入手は簡単です。学内に無い著書の場合、図書館を通じて取り寄せることができるものもあります。 研究の核になる図書であれば購入することをお勧めしますが、全集など高額な場合は教員に相談して下さい。
海外の著書や学術論文も、厭うことなく検索して下さい。とくに大学院進学を考えている人は、必ず海外の文献も入手して下さい。
検索システムによる文献収集とは別に、すでに読んだ著作・論文の末尾に挙げられている文献一覧をもとに、文献を収集していくという手堅い方法(いわゆる「芋づる式」) もあります。入手した複数の文献で引用されている文献は、当然入手しておかなければならない重要文献ですから、手を尽くして入手して下さい。
収集した文献は、Exelを用いて一覧表を作成しておきましょう。項目として「編者・著者」「タイトル(主題と副題)」「出版社」「掲載雑誌名」「出版年」 「掲載ページ(学術論文あるいは論文集の場合)」「備考」等の項目を設定しておけば、後から簡単に順番を入れ替えることもでき、卒業論文末尾に付ける「文献一覧」の作成が
容易になります。「備考」欄にそれぞれの内容についてのメモ、あるいは、読んだときに得た着想などを記入しておくと便利です。この作業は結構面倒ですが、怠ると卒業論文の提出間際で苦しむことになります。
収集できた文献は、〈片っ端から〉読み進めて下さい。 難しい内容でも何度も深く読み込むことでやがて慣れてきます。わたしたちの記憶力にも限界がありますから、読んだ端から内容を忘れていくことになるでしょう。一つの同じ文献を3~4回読むこと もしばしばあります。資料を読み進めるうちに、さまざまな着想(ひらめき)が湧いてくるはずです。
読みながら得た着想は心のどこかに記憶されているものですが、どこで得た着想なのかを想い出すのは結構大変です。これらの小さな着想こそが文章を組み立てる上で重要な導きの糸になりますし、また、最終的にできあがる卒業論文の味わいの元にもなります。だから、決して忘れてしまうことのないように、論文コピーの余白にメモ(キーワードや図式)を記入しておいたり、上述のExelファイルの「備考」欄を利用することで、できるだけ忘れないようにしましょう。
ここまで来れば卒業論文は半分以上できたようなもの です。さて、ここからが最も楽しい工程です。頭のなかに整理されないまま蓄えられた多くの着想を構造化していきましょう。構造化とは、要するに筋道立てて論理的に組み立てていくということです。部品である鉄骨はもうできているのですから、これをくみ上げてボルトで固定していく作業だと考えて下さい。部品の生産は結構苦しいものですが、組み上げ作業は努力の成果が少しずつ見えてくるだけに楽しいものです。なお、自分の意見と先行研究から得た知識の区別は明確にしておいて下さい。先行研究から得た知識については必ず丁寧に典拠を明示して下さい。
この思考内容の構造化に際してもっとも大切なのは〈問い〉です。まず何よりも重要なのはResearch Questionです。そもそも卒業論文で何を明らかにしたいのかを簡潔かつ具体的な問いの形にしてみましょう。この問いが建築で言えば基盤工事にあたります。基盤がしっかりとしていなければ、どこかの時点で論文は崩壊します。しっかりとした基盤の上に、
一つ一つそれまでに製造した鉄骨の部品を組んでいきます。それは、論文購読の過程で得た知識や着想でできたものです。組み上げ作業の節目毎に、つまり一つの節や章を書き終える毎に、
それまでに組み上げた鉄骨の上に立ち、深呼吸して周囲を見回し、今度はどの部品をもってくるべきかを問います。その際には、一度〈素人〉に戻って素直に、素朴に問うことが重要です。
こうした問いを積み重ねていくことでやがて論文という建造物の全体像が見えてきます。論文の節目ごとに適切な問いが置かれている論文は、読者にとってもわかりやすいものです。
ところで、論文の節目毎に建てる問いは素直で簡潔なものであるべきなのですが、組み上げ作業に夢中になっていると、ついつい論述が読者に不親切なものになってしまうものです。つまり、著者以外の人には理解できないような、あるいは、論文で取り上げる対象についてある程度の知識を持っている人でなければわからないような文章になるということです。
実のところ自分でもよくわかっていないことを専門語の多用によってごまかしてはいませんか。わたしたちは、ついつい自分の弱さ、自信のなさを隠すために難しい言葉の鎧で身を包むものです。もしそうなってしまっていることに気づいたなら、もう一度収集した文献を読み直したり、
「いまさら」と思っても厭うことなく入門書や事典類などを読んで内容を確認して下さい。「自分の研究に対して責任を負う」とはそういうことなのですから。
さて、思考の構造化の節目では、実験実習の時間を利用して教員や他の学生と議論をして下さい。議論の結果を忘れないうちに、発表原稿に修正を加えて下さい。こうした段階を積み上げていくことで、自ずと論文はできあがっていきます。
「序論」もしくは「はじめに」の部分と結論部を対応させながら、論文の仕上げ作業を行います。重要なのは、結論部でResearch Questionにきちんと答えを出しているかどうかです。
それができたら、文章全体の日本語表現のチェックを行って下さい。文章が長すぎて、主部と述部が対応しなくなっていませんか。一文を短く切って、接続してつなげていくと読みやすい文になるし、文法上の間違いも少なくなります。誤字脱字はありませんか。自分一人ではなかなか間違えに気づかないものですから、他の学生とお互いに読み合わせを行うのもよいかもしれません。
最後に文献一覧を作成します。この作業自体は、上述のExelデータができていれば、それほど手間のかかる作業ではありません。本文中で引用した文献が、文献一覧に記載されていることをチェックして下さい。
一つの研究科のなかに教育学をはじめとして多様な人間諸科学の分野が存在するというのは本研究科の特色です。この恵まれた学習環境を最大限に生かし、他分野の知見や方法論を積極的に活かすことも大切です。どこの大学院でもできる教育学研究ではなく、この大学院でしかできない教育学研究とはどのようなものなのか、それを問うことは大切です。統計学の手法を積極的に取り入れたり、あるいは逆に統計調査結果に潜む隠れた前提を明らかにするような研究。理系分野の最新の成果を取り入れた教育哲学研究、などなど。努力次第でさまざまな独創的研究が可能です。もちろん、オーソドックスな研究も歓迎しますが、指導教員を困らせてくれるような型破りな研究にも期待しています。
教育学以外の分野出身の学生は、受験・入学まで の間に、最低限、教職課程で用いられる教育原理関連の教科書、教育哲学や教育思想史の入門書などを多数読み込んでおく必要があります。分野替えの場合、かりに教育学の基礎を〈学習〉
し入試に合格できたとしても、入学してから修士論文に向けた文献の検索・収集・読み込みを始めるというのでは遅すぎます。学部時代からすでに助走を始めていなければ間に合わないでしょう。さらに、もしフィールド調査を行うのであれば、調査方法の基礎を学び、さらに(理想的には)調査対象を絞り込んでおくことも必要です。いずれにしても、大学院を受験する場合、学部時代に経験しておくべき上記のこと(「Ⅰ.学部生の場合」を参照のこと)をすでに習得済みであり、入学後直ちに修士論文執筆に向けた作業を開始できることが前提です。
わずか2年間で論文を完成させるのは大変な作業です。
もしフィールド調査を行う計画であれば、注意しておいてもらいたいことがあります。人間変容論研究分野では、なぜその対象を選んだのか、その対象を取り上げることにどのような意味があるのかを明確に説明できないようなフィールド調査を単なる「作業」と見なし「研究」としては認めていません。逆に言えば、これらの問いに答えられるために中心となるテーマに関連する先行研究を飽和状態に達するまで徹底的に読み込み、幅広い教育学的教養を背景に構想されたフィールド調査であれば非常に高く評価されるということです。
もちろん同じことは文献研究についても言えます。なぜ、ある人物や出来事について研究をするのか、それを研究することにいったいどのような意味があるのか、研究のために費やす努力に比べてOutcomeがあまりにも陳腐ではないか(つまり無駄な回り道にすぎないのではないか)、
「研究のための研究」になってはいないか、等々、つねに問い続けることが必要です。もちろん「研究のための研究」の価値を全否定しているのではありません。むしろ、上述のような問いを生じさせないほど傑出した研究には最高の価値を置いています。しかし、自分が行う研究に有無を言わせぬ価値があることを確信できないのであれば、自分の研究の意味を誰に対してもわかりやすく説明できるようにしておくべきでしょう。
大学院での研究を人とは違った独創的なものにするためには、 何よりも自分の研究テーマ、Research Question、視座、 方法論等を明確にしておかなければなりません。そのためには、上でもすでに述べたように、類似した研究テーマを扱った先行研究を徹底的に収集し読み込んでおく必要があります。また、
とくに大学院では最新の研究成果を踏まえておく必要もあります。
教育学関連の先行研究については、最低限、以下の雑誌、論文集等における関連論文を調べておくことをお勧めします。
①雑誌『教育学研究』、日本教育学会(編)
②雑誌『教育哲学研究』、教育哲学会(編)
③歴史を扱う場合には、雑誌『近代教育フォーラム』、教育思想史学会(編)
④最新ではありませんが、『教育学年報1~』森田尚人他、世織書房
しかし、私たちの研究分野は教育や教育学という境界設定を重視していません。というよりもむしろ、既成の境界を解体し新たに引き直すことを目指しています。そのためには、教育学以外の研究方法や研究成果を活かすことが必要になります。これまでになかったような独創的な研究を目指すのであれば、各自の研究テーマにもっとも近い研究領域を代表する学術雑誌を自分で見つけ参照する必要が生じるでしょう。ここから先はそれぞれの大学院生自身の課題です。人間変容論研究分野では、「他流試合」を推奨しています。実際、Away状態であっても教育学以外の学会に入会し発表を行ってきた大学院生も複数います。
取り上げる価値・意味を十分に説明できる場合に限りますが、新たなフィールド調査の対象を開拓することも重要です。
文献研究であっても、脚を使うことが重要となる場合があります。WEB上で検索できないほど古い資料を用いる場合は、各地のアーカイブなどを訪問する必要があるでしょう。
【海外の学術雑誌の活用】
大学院での研究の視野を広げ、 国際的に通用する研究を行うために、人間変容論研究分野では海外の専門雑誌を重視しています。
英語圏では、
⑤ Journal of Philosophy of Education(学術雑誌;Philosophy of Education Society
of Great Britain)
ドイツ語圏では、
⑥Zeitschrift für Pädagogik(学術雑誌)
⑦Zeitschrift für Erziehungswissenschaft(学術雑誌;ドイツ教育学会)
⑧Paragrana (学術雑誌;ベルリン自由大学の歴史的人間学学際センターInterdisziplinäres Zentrum für Historische
Anthropologie)
⑨同じく歴史的人間学学際センターから発行されている歴史的人間学シリーズの論文集(学術図書)
などがあります。これらの雑誌に掲載された論文のなかにはWEB上からダウンロードできるものもあります。わざわざ海外の大学や図書館に赴いて文献収集をしなければ
ならない時代では もはやないわけですから、海外の文献を読まない理由などありません。ちなみに、DeepLなどの翻訳サービスを利用すれば、ドイツ語であれフランス語であれ、かなりの精度で翻訳してくれるので、海外の文献を参照しないというのは、もはや怠慢でしかないと言われても仕方ないのかもしれません。
学内にも海外留学を支援する制度がありますので、海外の研究を行うのであれば、積極的に留学しましょう。というよりもむしろ、研究対象や方法論などが海外のものであれば、 現地に出かけて行き研究するのが当然です。そうした機会を活用し、長期留学を行うことになったとしても、 わたしたちの研究分野では学生を囲い込むことはせず、積極的に送り出します。ちなみに、海外だけでなく国内でも、現在よりも研究に適した環境が得られるのであれば、他の大学院の受験に向けて支援します。私たちの研究分野を「止まり木」として利用すればよいのです。
いずれにしても、快適な大学院生生活を続けるうちに自らの優秀さを過信し根を生やしてしまうということのないよう、つねに研究分野の外に目を向けておいて欲しいと願います。