人間変容論とは


藤川研究室
出身者の進路と
メッセージ


  目次

   1. 学部出身者
   2. 博士前期課程出身者
   3. 博士後期課程出身者



1. 学部出身者

Nさん
卒業後の経歴 ・2018年4月:東京都庁入庁
・2018年4月〜: 福祉保健局 少子社会対策部 児童相談所 児童心理司
学部卒業から現在にいたるまでの経緯

在学生・受験生へのメッセージ
 学部生時代には"人の心とは"という漠然とした関心があり、「関心のあることを自由に追求できる」という先輩の誘いで本研究室を選びました。
 研究室で学び何よりも現在の自分に生きているなと思うことは、一見無意味に思える疑問や気づきも切り捨てずに掬い上げ考え続ける、という姿勢そのもののように思います。
 さまざまな観点から、先生や研究室メンバーとの議論のなかで人の心について考えられたことは、とても貴重なものだったと振り返るたびに感じます。 どんな些細な気付きにも意味は見出され、それが自分の世界を見る目を豊かにしてくれるんだなということを知ることができた時間でした。 また、児童自立支援施設で1年間ボランティアとして様々な背景を抱える子どもと接することができたことも、自分の価値観を問い直す上でとても大切な経験となりました。
 カウンセラーはまさに"正解のない仕事"なので毎日悩みながら職務にあたっていますが、研究室で学んだ物事への向き合い方が、日々出会うクライアントの心と向き合う上で、私の核になっていると思います。


大山奈都花
卒業後の経歴 ・2017年3月卒業
・2017年4月:京阪ホールディングス株式会社入社
・2017年7月〜:経営統括室人事部・人材育成担当
・2019年7月〜:経営統括室人事部・人事採用担当
学部卒業から現在にいたるまでの経緯

在学生・受験生へのメッセージ
 卒業後、教育とは一見無縁に見える業界へ就職しました。学生時代は、学んだことを社会に生かせるような分野で働きたいと考えていましたが、納得できる職業が見つからず、広い意味で「多くの人に分け隔てなくポジティブな働きかけができる」業界にしようと思い、地元の鉄道系の会社に就職しました。
 教育からは一旦離れたと思っていたのですが、最初の配属が社内教育の担当だったため、意外にも教育に関わることになりました。大学時代のように理想や本質をじっくりと追求するというよりは、どちらかというと目の前の課題に短いスパンで答えを出していく仕事ですが、学んだことが仕事に生きていると感じる場面が多々あります。また、実践してみて新たに気づくことも多く、楽しく働いています。
 正直、研究室で学んでいたときは、先生や院生のおっしゃることを理解しようと必死で、納得するよりも無限に疑問が出てくる感じでした。今も多くの疑問はあっためたままですが、今でも当時の疑問について本を読んだり、考えたりします。すぐに答えが出ないからこそ面白く、大学を離れても興味は尽きません。


寺岡敦子
卒業後の経歴 ・2017年3月卒業
・2017年4月:帝人株式会社 入社
・2017年8月:松山事業所 事務室 勤労グループ
・2020年3月:人事部 採用グループ
学部卒業から現在にいたるまでの経緯

在学生・受験生へのメッセージ
 卒業後に特にやりたい仕事もなく、「もっといろんな価値観や考え方に触れて視野の広い大人になりたい」という漠然とした思いから、仕事を通してしか会えない人と仕事ができるチャンスが他の業界よりも多い(のではないかと勝手に想像して)BtoBメーカーを志望し、今の会社に就職しました。
 新入社員で配属になった事業所ではいわゆる労務管理全般に関わらせていただくことになりました。新入社員の立場で自分よりもはるかに年上の現場社員や労働組合の役員と対峙することはとても難しかったですが、そんな中でも「そもそもそれは何のためか」、「別の視点が考えられないか」ということを考えのきっかけに自分の意見を持ち続けること、正面からその疑問をぶつけてみることで、新入社員だからこそできた仕事、解決できた課題がたくさんあったと感じています。
 今思い返せば、学生時代、自分の何気ない疑問や明らかにしたいことを形にしていくという経験は藤川先生をはじめ、研究室のメンバーに助けていただいたからこそできたことであり、それが今の自分に繋がっていると感じています。


佐藤航
卒業後の経歴 ・2012年3月 卒業
・2012年4月 株式会社WAOコーポレーション入社 奈良県高校受験部門担当
・2015年4月 株式会社アスナル入社 学習塾運営・コンサルティングなど
・2020年4月 同法人 N中等部 運営支援課
学部卒業から現在にいたるまでの経緯

在学生・受験生へのメッセージ
 学部生時代はアイデンティティの形成を主な関心として学んでいました。院に行くよりも「実践」に重きを置きたいと考え、いくつかの塾会社を転々とし、現在の学園に落ち着きました。
 思えば常に、自分がしている仕事を客観的に(批判的に)眺めていたのだと思います。
 最初の進学塾では、学校と部活を終えクタクタになって塾に現れる子たちなりの「高校受験という自己実現」を支える仕事に満足感を覚えつつ、学習内容についてこれず離脱していく生徒が気になってしまい転職しました。
 次の学習塾では、学習内容もレベルも生徒自身が決める学習スタイルで運営することで、生徒にとっての「安心して学べる居場所作り」に専念しました。しかしそこで、学校でのトラブルから外に出られなくなり塾にも来なくなった生徒が気になってしまい、転職しました。
 そして現在は、N中等部のというフリースクールの立ち上げ・運営に携わっています。
 自分の仕事に「疑い」を持ちながら前に進んでいく姿勢は、間違いなく藤川研究室で得たものだと思っております。


横山裕一
卒業後の経歴 ・2006年3月 卒業
・2006年4月 ジェイエイシーリクルートメント入社
・2011年4月 茨木市役所入庁 教育政策課
・2016年4月 同 生活福祉課
・2019年4月 同 相談支援課 主任相談支援員
学部卒業から現在にいたるまでの経緯

在学生・受験生へのメッセージ
 就職活動中にキャリアコンサルタントという職業に興味を覚えて、大学卒業後は転職支援サービスの会社に就職。しかしながら、管理本部に配属となり、情報システムやウェブマーケティングを担当することになりました(結果的には大変良かったと思っています)。妻の出産を機に地方公務員に転職。最初の4年間は小中学校の教材整備、次の4年間で生活保護のケースワーカーを経験し、現在は福祉の包括的な相談機関で相談支援員をしています。
 私の対人援助の基本となっているのは「解決志向アプローチ」と呼ばれる面接技法です。この技法の背景には「人は他者との相互作用のなかで 意味を作り上げていく」という社会構成主義の思想があり、これも人間の 変容のあり方に対する一つの見方です。10代、20代という最も頭脳の冴えた時期に、人間の変容に対する様々な見方とその感度を養うことは、その後の人生の歩みに豊かないろどりを与えてくれるものと思います。


上田悦子
卒業後の経歴 ・2000年3月 卒業
・2000年4月 毎日放送入社 アナウンサー室配属
学部卒業から現在にいたるまでの経緯

在学生・受験生へのメッセージ
 四角い箱を見た時、人によって「大きい」「小さい」 「白い」「柄がない」「サイコロにできるか」「座れるか」「だれが作ったのか」 ・・・思っていることは全く違います。そのことがとても興味深く、 もっともっと大勢の人と議論をしてみたいと思ったのは大学の研究室時代です。
 いまニュースを伝える仕事をしている中で、放送までに大勢の記者と議論をします。 どの角度から見るかでニュースはがらりと変わります。どれが正解か、ではなく、 より大勢の人に「気づき」をもたらす伝え方は何か、を大切にしています。
 意見の違う人とぶつかってしまいがちな現場でも、 「違う!オモシロイ!もっと話してみたい」そう思うようになったのは 藤川研究室のお陰だと思っています。
 皆さんも濃密な時間をお過ごしください!





2. 博士前期課程出身者

冨澤美千子
修了後の経歴 ・2013年3月 修了(人間科学研究科賞受賞)
・2013年4月-2014年3月 人間科学研究科研究生
・2014年4月 奈良女子大学大学院人間文化研究科社会生活環境学専攻博士後期課程 入学
・2014年4月-2017年3月 日本学術振興会特別研究員(DCT)
・2017年4月 横浜美術大学 教職課程・主任教授
大学院入学から現在にいたるまでの経緯

 私が現職に就くまでに大きな出来事として挙げられることが三つあります。一つ目は、藤川研究室へ入ったことです。はるか昔に卒業した他大学の文学部では、史学科で日本近代史を研究しておりました。大学院受験をした理由として「教育学」を学びたいということがあり、「教育学」の中でも「教育哲学」を学びたいと考えました。その門戸を開いてくださったのは、藤川先生でした。二つ目は、思いがけず人間科学研究科賞をいただいたことです。そして三つ目も思いがけず…と表現すべきことですが、学振の特別研究員に採択されたことです。しかし、博士後期課程へ進学することはかなり厳しく、自分ではどのような進路を進めばよいのか大変悩み、大学院後期課程は諦めかけておりました。それなのに藤川先生は、最後まで一生懸命ご指導くださり、特別研究員の採択も生かすことができる進路へ進むことができました。私にとって修士課程はあまりに短く、研究生をしなければ自分がその後どうしたらよいか道を決めて進むことができなかったのです。
 このように大きな出来事の三つ全てが、藤川先生のご指導によるものです。そのおかげで、現在の職を得たといっても過言ではありません。職だけでなく、研究を続けていく道(人生)を得たということになります。藤川先生には、研究も進路も袋小路になっていた時にも、考える場を与えていただき、足踏みをさせていただいたことに、心から感謝しております。
 また、藤川研究室の仲間は皆、大変研究熱心で、コロキウムはいつも活発な雰囲気に溢れ、刺激的でした。あの頃一番怖くて刺激的な時間は、藤川研究室のコロキウムでした。仲間たちの知識量や考察の深さにいつも焦りながら、そのおかげで大変勉強させられていました。
研究テーマ (1) 野村芳兵衛の「仲間づくり」の教育思想を中心に、大正新教育の時代の教育思想研究をしています。
(2) 大学院に入る前から現在まで吹田市立小学校の「総合的な学習の時間」の実践支援活動をしています。岐阜市立長良小学校「こどう」の実践活動も参与観察しており、これらを通して「総合的な学習の時間」について研究しています。
(3) その他「特別活動」、「生活綴方教育」についても研究しています。
主要な業績(論文) https://researchmap.jp/m-tomizawa をご参照ください。




3. 博士後期課程出身者

高田俊輔
退学後の経歴 ・2019年3月:単位取得退学
・2018年4月〜2020年3月 東洋大学ライフデザイン学部 子ども支援学専攻 助教
・2020年4月〜 上越教育大学大学院 学校教育研究科 幼年教育コース 助教
大学院入学から現在にいたるまでの経緯

在学生・受験生へのメッセージ
 学部生時代、卒業が近づくにつれて将来のことを考え始めたころ、研究者を目指すのも良いなあと漠然と考え始めました。きっかけは学術書や論文のように、 自分が死んでしまった後でも半永久的に形として存在し、未来の誰かに引用されたりすれば何かしら社会の役に立てるのではないかという妄想的なものであったと記憶しております (これは建前で、友人たちがある日突然黒いスーツを着用して就職活動を始めるのを垣間見て、そこへ参戦することに対する自信のなさによる逃避行動であったともいえます)。 大学院入試に失敗し、1年間は研究生として研究室に所属する期間もありましたが、大学院生活は多様な知見をお持ちの先生方や研究室のメンバーと議論をすることで、 自由に思考することができる時間であったように思います。入学後の生活としては、研究室にいる時は文献購読を中心に理論を学び、それ以外の時間は児童自立支援施設での フィールドワークに費やす日々でした。大学教員となった現在は児童福祉領域を専門として研究教育活動を行っております。
研究テーマ  児童養護施設や児童自立支援施設等の児童福祉施設に入所する子どもたちの教育保障、児童福祉施設における多職種間連携といったテーマに興味関心があります。 具体的には、児童福祉実践における「教育的なるもの」と「福祉的なるもの」といった固有の論理はどのような歴史的過程の中で成立したのか、 Aどのように現代の実践家たちはその論理を受け継いでいるのか、B現在の実践家たちは、どのような教育と福祉の論理を新たに生み出しているのかという問いをもとに研究をしております。
主要な業績(論文) https://researchmap.jp/shuta- を参照のこと。



井上健介
退学後の経歴 ・2018年3月:博士後期課程満期退学
・児童心理治療施設 あゆみの丘 施設長
(大阪市立阿武山学園→ 国立武蔵野学院→ 社会福祉法人 阪南福祉事業会 あゆみの丘)
大学院入学から現在にいたるまでの経緯

 私は元々、別大学の博士前期課程で心理学を学んだ後、非行臨床の最前線を求めて児童自立支援施設に入職しました。児童福祉は心理学隆盛の時代でしたので、心理学の言葉で事象を考えることは周囲から歓迎され、成果とやりがいもありました。ですので、仕事と合わせて研究はしていきたいという思いは持ち続けていました。
 その後、社会人学生として藤川研究室に入れていただいたのは、当時勤めていた施設で藤川研究室のフィールドワーク調査を引受けたことがご縁となりました。子どもたちとの何気ない農作業や運動会の組体操に調査者が実際に参加し、参与観察が行われました。心理は対象者の精神内界や2者関係など、ミクロレベルの事象理解を得意にしますが、当時の藤川研究室の方法 ― E.ゴッフマンのドラマトゥルギーを参考にしたもの ―は、ミクロからメゾレベルまでカバーするもので、それは当時の私にとって非常に新鮮に映りました。新たな見方に触れ、一気に視野が広がった感覚を覚えました。
 おそらく藤川研究室は、ひとつの方法に固執することなく良いもの、おもしろそうなものをどんどん取り入れていこうという風土があると思います。私が思う藤川研究室で得られる利点は、それぞれの仕事の専門性や興味関心に応じて、教育学・社会学の広い括りの中からさまざまな選択肢を得ることができることだと思います。それが「臨床」と不可分のものとして研究を行う基本姿勢があることが重要で、社会人学生だった私としては、活きた学問、活きた研究を行えたことが、私の児童福祉人としての地力になったと思います。
リンク http://hannan-fukushi.org/ayumi/ を参照のこと。



渋谷亮
略歴 ・2002〜2005年:修士課程在籍
・2005年〜2010年:博士課程在籍 単位取得退学
・単位取得退学後はしばらく非常勤講師を続けながら博士論文の執筆
・2013年:学位取得
・2014年から成安造形大学講師
・2019年から龍谷大学准教授
大学院入学から現在にいたるまでの経緯

在学生・受験生へのメッセージ
 私が吹田キャンパスの人間科学部棟にやってきたのが1999年、藤川先生の研究室に入ったのが2000年頃になります。博士課程も入れて10年以上も「人科」で学んできました。思い返すに人科の特徴の一つは、多様な学問領域の相互交流が盛んなことでしょう。私自身、学部や修士課程のあいだはいろんな授業や研究会に出入りし、様々な分野の学生や先生と出会うことができました。とりわけ人類学、社会学、思想史、哲学などの学生たちと共に行ったフーコーの読書会はとても刺激的でした。領域を横断しながらも、そこに何らかの共通の知の可能性が浮かびあがっていく、そうした興奮がありました。
 とはいえ、そのおかげで関心が広がりすぎたというのもあります。学問の世界の広さをまえに、自分の知識も関心もとっ散らかったまま、うまくまとめることができませんでした。修士論文執筆の際も問題意識を明確にできず、結局、書き上げるまでに3年かかりました。風呂敷を広げすぎたのでしょう。しかし時間がたてば、おのずからある程度の整理がなされていくものです。私の場合には、整理ができてきたと感じたのは博士課程も終わり近くになってからでしょうか。修士に入ってから7、8年は経っていることになります。けれども当時の交流や手あたり次第の学習は、いまの私の財産となっています。
 修士課程で留年が決まったときには、博士課程への進学を諦めようと思い、就職活動をはじめました。当時は優秀な周囲の人たちをまえにして、研究者の世界でやっていく自信もなく、また自分に何ができるのかもよく分かりませんでした。しかし、自己分析をして面接に臨んでもどこか違和感がぬぐえなかったことを覚えています。当時、到底かなわないと思っていた同期の友人がいました。彼は私と同じように留年し、博士課程への進学をやめ、早々に大手企業に就職を決めます。もう研究には未練がない、彼はそう言っていました。それを聞いて私は自分の未練を自覚し、博士課程に進学することを決めました。
 それまではただ勉強が好きだし、楽しいくらいの気持ちでいました。しかしそこから、〈この世界で生き残る〉ことを意識しはじめました。だからといって、世情に疎く、社会的な動きにあわせた研究をするというのでは全然なかったのですが。最初はやはり関心が散らかったままで、研究主題を再設定するのに1年以上かかりました。
 また博士課程在籍中には、研究室の先輩たちに非常勤の仕事を紹介してもらいました。最近では事情も変わりつつあるのかもしれませんが、当時は教育学の分野では専門学校などの非常勤は比較的見つかりやすかったように思います。私は学術振興会の研究員などになることはできなかったのですが、それでもなんとかやっていけたのは非常勤の仕事があったおかげです。最初は自分が「教える」ということにピンときておらず、授業では好きなことを話していました。それでも徐々に教える自分にも慣れていきました。
 研究室では基本的に好きなことをさせてもらっていました。自分の関心が広がるにまかせていろんな主題に手をつけたり、勉強会を立ち上げたり、様々なものをとっ散らかせながら、ふらふらとしていました。指導教官はおそらく不安に思いながらも、放っておいてくれたのではないかと思います。私の場合、確かに人よりは時間がかかっているのでしょうが、学生のあいだに一定量の引き出しをつくることができたのは、その後を生き延びるのに役立ちました。そうした引き出しはおそらく、一見かけ離れたことを幾分かの距離を保ったままにつなぐ助けとなります。
 博士論文を書き上げてから、それまでの文献研究とともにフィールドワークを中心とした研究もはじめました。私が大学に在籍しているあいだ、人文系学問の雰囲気も変わり、研究室でも盛んにフィールドワークが行われるようになっていました。文献研究とフィールドワーク、両方を同時に行うためにいまでも試行錯誤を繰り返しています。しかし比較的すんなりはじめることができたのは、在学中につくった引き出しのおかげだという気がします。いまでも両者は私の中で、同じでも別でもなく、重なりながら距離を保ったまま併存しています。私の場合、そのような併存によって、いろんな場所に入ったとしてもある程度バランスがとれるようになりました。
 その後、幸いにも芸術系大学で教職課程の職につくことができました。それまでとは異なる事務や運営の仕事に当初は面食らいました。授業の内容もこれまでの研究とは隔たりがあるものでした。また教員という立場から見る大学というものが、学生の立場から見るのとは異なり、窮境とした状況に立たされていることにも驚きました。おそらく学生時代のいいかげんな私を知る人は、教職課程の事務や運営に携わっていたことが信じられないだろうと思います。
 とはいえ、修士・博士課程で身につけたことは意外と応用がきくものが多かったという気もします。様々な組織における議論や手続きがどのようなロジックに基づいているかを考え、複数のロジックの葛藤や絡まり合いを整理するなど。理屈さえわかって環境が整えば、私でもある程度やれるのだと思うようになりました。また、煩雑な手続きや組織の論理に巻き込まれながらも、フィールドワークの一種だと思うことで、事務、運営、組織のあり方について改めて目が向きました。私が感じたのは、教育自体に内在する曖昧な形式主義が、近年、形を変えつつ拡大しているのではないかということです。教育思想史的にも教育における「官僚主義的なもの」をどのように捉えるかは王道のテーマだと思いますし、いずれきちんと取り組みたいと考えています(部分的にはすでに着手しています)。
 大学では次第にアーティストの先生たちとも知り合いになり、研究会をはじめるようになりました。これは大学を移ったいまでも続いています。相変わらず異なる分野の人たち集まって勉強している、というわけです。授業でも文科省が求めるものと自分がやってきたことに一定の折り合いをつけることができるようになりました。私はフィールドワークにしろ、教職課程にしろ、アーティストとの研究会にしろ、場違いのところに居続けているように思います。これもまた学生時代とやっていることはそんなに変わらないのかもしれません。
 現在、新しい大学にきて2年目になります。新型コロナウイルスの感染拡大にともない、本年度は波乱のはじまりとなりました。多くの事柄がいまだに見通しがつかないままです。続いていくもの、変わっていくもの、壊れていくものなど、いくつもの層に現実が分裂し、ぐちゃぐちゃになりながら進んでいるという感じでしょうか。私自身、困惑しながら慣れないことをせざるおえない状況です。
 私がこれまで考えてきたことに関しても、今後も通用するものとしないもの、一新させる必要があるものなどを整理しなければならないでしょう。一つの方向に収れんするのを避けるならば、ある程度とっ散らかることになります。そのなかで分散しつつバランスをとることが、かつてなく要求されているように思います。とはいえ、それもまたこれまでやってきたこととさほど変わらない部分があるのかもしれません。少なくそう信じてやっていきたいと考えています。
研究テーマ (1)精神分析と子どもの科学に関する思想史研究
(2)発達障害に関する歴史研究とフィールドワーク(特別支援学級、放課後等デイなど)
(3)その他の教育と育児をめぐる思想史研究

キーワード:科学と知、幼児期と発達、イメージと言語、発達障害、共同性
主要な業績(論文) https://researchmap.jp/ryoshibuyaを参照のこと。



國崎大恩
退学後の経歴 ・2010年7月:単位取得退学
・2011年8月〜2014年3月:兵庫教育大学教員養成カリキュラム改革推進室・特命助教
・2014年4月〜2015年3月:滋賀短期大学生活学科・特任講師
・2015年4月〜2018年3月:神戸常盤大学教育学部・講師
・2018年4月〜2019年3月:神戸常盤大学教育学部・准教授
・2019年4月〜現在:福井県立大学学術教養センター・准教授
大学院入学から現在にいたるまでの経緯

在学生・受験生へのメッセージ
 大学院入学時はデューイ思想についてオーソドックスに研究 しようと考えていました。しかし、研究室の先輩や同期・後輩と毎日のように議論(というより雑談)をしていく中で、研究のアプローチを変えた方がオモシロいのではないかと思うようになっていきました。 その後、哲学や人類学などの他領域に所属する大学院生とも一緒に学生だけの研究会を重ねていくうちに今の研究アプローチを着想することができました。それもこれも研究室の自由な風土 (自由すぎる風土?)が今の私を形成してくれたと言えるでしょう。大学教員となってからも研究室をたびたび訪れて刺激をもらっています。
研究テーマ (1)19−20世紀転換期におけるアメリカ新教育運動の思想史【基礎研究】: 19−20世紀転換期におけるアメリカ新教育運動、とりわけデューイの思想と実験学校の展開に焦点をあてながら、「新教育」という事象が多種多様な物事からいかに成立してきたのかを明らかにすることを 試みています。
(2)教育実践の動態的分析と授業研究に関する学際的研究【実践研究】:学校やクラスの動的な編成・変容過程を人・モノ・言説の多様な結びつきの中で教育実践が組織化される過程として記述・分析 することで、教師の学びを支援する研究をおこなっています。
主要な業績(論文) https://researchmap.jp/7000018941を参照のこと。


高松みどり
退学後の経歴 ・2007年度 大阪大学大学院人間科学研究科単位取得退学
・大阪国際大学短期大学部
・滋賀短期大学
・大阪教育大学
大学院入学から現在にいたるまでの経緯

在学生・受験生へのメッセージ
もともと学部時代にドイツの学校教育に関心があり、ドイツ教育哲学の研究をされていた先生の研究室を受験しました。今思えば当時は、はっきり言って、あまり教育哲学のことをよく理解しないで受験 していたと思います。博士後期課程にドイツに運よく留学することができ、師に恵まれ、ベルリンの小学校で調査データを集めることもできましたので、そのままドイツに留まり、博士論文を提出しました。 帰国後、非常勤講師のみで生計を立てていた時期も1、2年ありましたが、おかげさまで運よく、大阪国際短期大学(ライブデザイン学科)に職が決まりました。 その後、滋賀短期大学(幼児教育保育学科)で幼稚園教諭や保育士養成に携わり、現在は、大阪教育大学(初等教育講座)で小学校教員の養成に携わっています。
研究テーマ 日独の小学校にみられる儀礼的な行為について: 日本のドイツの朝の会や月曜の会が「演じられる」様子をビデオカメラで記録をとり、社会学者ゴッフマンの視点から分析しました。
主要な業績(論文) https://researchmap.jp/ takamatsumidori-5/を参照のこと。