人間変容論は人間の変化・変容の多様性を探究する研究分野です。

             

新たな着想を生み出し育てることを目指します。

人間変容論  
Human Transformation Study


                          

人間変容論とは

目次

  1. 何を取り上げるのか?
  2. どのように研究するのか?
  3. 研究することにはどのような意味があるのか?



1. 何を取り上げるのか?

 人間のあり方の変化にはさまざまなタイプがあります。もっとも馴染みのあるのは、 心であれ身体であれ〈連続的・不可逆的〉に変化していく、いわゆる「発達」 と呼ばれるタイプの変化でしょう。しかし、通過儀礼を経た生まれ変わりの伝承に見られるような 〈非連続的・不可逆的〉な変化もあります。こうしたタイプの変化はあまり馴染みのないものに思えるのかもしれませんが、いわゆる 「死と再生」のモチーフをもつ現代ドイツの児童文学であるミヒャエル・エンデの『果てしない物語Unendliche Geschichte』や『モモMomo』、あるいは、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』をはじめとするいくつかのアニメ映画作品からも見て取れるように、その記憶は、ゆるやかに変化しつつも、今日に至るまで確かに伝承されてきています。また、自分自身の過去を振り返ってみたとき、大切な人との出会いや病いや家族の不幸や災害などがきかっけとなって、短期間に大きく生き方を変えたという記憶が蘇る人もいるのではないでしょうか。そうした変化のあり方は、昆虫や両生類などの「変態」になぞらえることもできるかもしれません。また、転職や移民や社会復帰などをきっかけにもう一度人生を最初からやり直すという経験をした人もいるでしょう。こうした経験は〈可逆的〉な変化と呼ぶことができるでしょう。この場合生き方の転換自体は〈非連続的〉ですが、それ以前とそれ以後の変化は〈連続的〉なものなのかもしれません。あるいは、進学校生徒の塾・予備校通いやダブルスクーリングや社会人院生などの例がわかりやすいと思いますが、一時的に、あるいは継続的に、複数の変化が同時に生じる場合もあるでしょう。
 よく考えてみると、このようにわたしたちの生き方の変化は「発達」に還元できるほど単純なものではないことに気づかされます。では、それぞれの変化にはどのような特徴やきっかけがあるのでしょうか。いわずもがなですが、個々人の変化は十人十色です。だとしても、人間の生き方の変化の軌跡を類型化することもある程度までは可能なのかもしれせん。たとえば類似したきっかけが類似した変化の軌跡を生み出すこともあるでしょう。
 人間変容論研究分野では、このような
人間の変化・変容の多様性を探究・探求するとともに、類型化や比較も試みます。人間の変化の探究・探求にあたっては、その変化のきっかけの一つとしての教師や福祉士などの専門家との関係を問うことも必要になるかもしれません。


2.どのように研究するのか?

 では、どのようにして人間の変化の探求・探究を行うのでしょうか。そのための方法はさまざまです。レトロスペクティヴな研究を行うのであれば、文学作品やある思想家の著作を対象とした文献研究も可能ですし、とくに現在に興味があるのであれば、インタビューなどの方法による質的研究も可能です。ただ、どのような方法を用いるにしても、なぜある対象をある方法で研究するのかという問いに明確に答えられることが求められます。この問いに答えられないような研究は、単なる〈作業〉にすぎず、いまだ研究とは見なされません。


3. 研究することにはどのような意味があるのか?

 しかし、そもそもこの分野でそうした研究を行うことにはいったいどのような意味 があるのでしょうか。研究の成果が直ちにだれかの人生のあり方に影響を与えたり、教育や福祉の領域のなんらかの実践に影響を与えたりすること、つまり直接だれか、あるいはなにかの〈役に立つ〉 ことは、皆無とは言わないにしても稀でしょう。自分では役に立っていると思い込んでいても、相手から見ると裸の王様になってしまっていたり、それどころかありがた迷惑になっているという こともしばしばあるものです。よって、最初から多くを求めはしません。しかし、少なくとも、ある問題について、他の多くの人々とは 違った見方ができる、あるいは人とは違った要因 に着目する、そして場合によっては他の人とは違った解決策を見つけだすことにつながるようなまなざしを、探究・探求の過程で鍛え上げて欲しいと望んでいます。取り上げる対象は、最初は自分自身が抱き続けてきた問題でもよいでしょう。そして、もしできるなら、さまざまな問題を抱える他の人々に、あなたのまなざしに問題がどのように写っているのか、そしてあなたのまなざしには解決の道筋がどのように見えているのかをわかりやすく伝えることのできる人になってほしいと望んでいます。それをなしうる能力は、ずいぶんと長い回り道なのかもしれませんが、誰かの何かの〈役に立つ〉と言えるのではないでしょうか。